弁護士 寳谷 英一
顧問先からの相談
先日、顧問先の会社から、退職した元従業員から、未払い残業代の請求が来たが、どうしたものか、という相談がありました。
その会社からは、その直前にも同様の相談があり、そのときは、示談で解決しましたが、今回は、そうも行かない事情があったのです。
残業代請求の背景
弁護士の業界は、先日まで、いわゆる過払いバブルに沸いていました。
過払い請求とは、消費者金融業者に対して、借主から取り過ぎていた利息を返還せよという請求のことです。
弁護士らは、借主に有利な一連の最高裁判決が出たため、負けるおそれがない、おいしい争いであるとして、こぞって借主の代理人として消費者金融業者から過払い金の回収をし、報酬を得たのです。
ところが、過払いバブルは、時効期間が過ぎて請求ができなくなったり、過払い金返還請求権を持っている借主の減少により、下火になってきました。
そこで、新たに注目されたのが「残業代請求」なのです。
残業代請求の現状
残業代請求がされた場合、それについての対策が講じられていない中小企業などにあっては、会社側から有効な反論をすることは、ほぼ不可能な状況です。
また、相手方が企業で、経済活動を継続しているという性質上、従業員側が裁判で勝訴した後に、実際に回収することも容易で、判決が「画に描いた餅」になるおそれは低いといえます。
このように、残業代請求は、過払い金請求と似たところがあるため、「過払いバブル」の次は「残業代バブル」だとも言われており、これについての広告を大々的に出している法律事務所もあるというのが現状なのです。
今回の事件
今回の事件では、まず、元従業員の代理人弁護士から、未払い残業代を請求するため、タイムカードなどの送付を要求する旨の内容証明郵便が会社に届きました。
そして、会社の担当者が、当事務所に相談に来られたのですが、その担当者によると、元従業員は、素行が悪く、残業代請求についても不当なものだということでした。
会社では、従業員の勤務時間をタイムカードで管理していたのですが、元従業員は自分より2時間遅れのシフトで働いている部下に、退勤の際のタイムカードを打刻させていたというのです。
また、元従業員は、作業場に隣接する宿舎で寝泊まりしていたのですが、決められた出勤時間の2時間前くらいに一旦タイムカードを打刻し、その後、出勤時間まで宿舎に戻って寝ていた、ということなのです。
労働審判の申立て
それからしばらくして、元従業員から、残業代請求の労働審判の申立てがされました。
労働審判とは、労働事件のみを対象とする特別な手続きで、以下のようなものです。
通常訴訟の場合、判断を下すのは裁判官だけなのですが、労働審判は、裁判官のほかに、労働審判員が2人(労働者側・使用者側各一人ずつ)加わり、裁判官と共同で判断をすることになります。
また、労働審判は、原則として3回以内に審理を終結しなければならないとされており、迅速な紛争の解決が図られています。
第1回の期日まで
労働審判においては、原則として3回までしか審理が行われないことから、双方とも、第1回の期日までに、必要な主張・反論を出すようにとの裁判所からの指示があります。
そこで、当事務所としては、会社側の証拠を固めるため、新幹線に乗って、会社の支店に赴き、関係者から聞き取りをして陳述書を作成するという作業を行いました。
審判の内容
その結果、元従業員の部下からは、自分が元従業員の代わりにタイムカードを打刻させられていたこと、また、他の多数の従業員からも、元従業員の素行の悪さや、出勤前にタイムカードを打刻していたのを目撃したことがある等の内容の陳述書を作成することができました。
そして、それらを証拠として提出し、会社の支店長とともに、第1回の審理に臨んだのです。
すると、裁判官から、元従業員がタイムカードの打刻を不正に行っていることについて気付いていたのか、という質問がありました。
支店長は、元従業員のしていることにつき、うすうす気付いていたらしいのですが、元従業員が専門職で、もめた際に代わりの人材をすぐに見つけるのが難しいなどの理由から、注意を知るといったことはなかったということでした。
裁判官からは、タイムカードがある以上、その記載内容は強い証拠力を有するし、仮に元従業員が不正行為をしていたとしても、それを見過ごしたという会社の管理体制に問題があるのではないか、という指摘がありました。
会社の視点では過去のタイムカードの管理も不十分で、全部揃っていなかったなどの事情もあり、裁判官の心証は会社に対して、予想以上に厳しいものだったのです。
今後の課題
このように、残業代請求の現状は、会社側にとって極めて厳しいと言えます。
そこで、会社側としては、弁護士、社会保険労務士等と相談して、今後の対策を練る必要があるのです。
具体的には、従業員の勤務時間の管理を徹底する(不正を働く従業員には、その都度懲戒処分で臨むなどの強い姿勢が必要です。)、基本給部分と残業代部分を明確に区別して支給する、などについて慎重な対応が求められると思います。